裁判員裁判にちなんで
平成21年5月から裁判員制度が開始され、その後、裁判員裁判でも、20件以上の死刑判決や、150件前後の無期懲役判決が言い渡されてきました。
これらの事件の中には、裁判員・裁判官の間で有罪か無罪か、あるいは死刑か無期懲役かで評価が分かれ、多数決の結果、有罪だとして、あるいは死刑が適当だとして死刑を宣告した事件もあったのかも知れません。
また、そのような裁判に関与した裁判員の中には、精神的な苦痛を感じて、それがトラウマとなり、裁判が終了してからも、精神疾患を患っている人もいるのかも知れません。
アメリカでも、死刑制度を採用している州のうちの大半が、検察官が死刑を求刑した場合には、陪審員が死刑にすべきかどうかを判断する制度が採られているそうですが、そこで死刑を選択した陪審員の精神的なトラウマを治療するため、裁判所が精神科医を紹介する制度があるそうです。
ところで、かつて日本で、死刑判決を言い渡した職業裁判官が精神的トラウマに苛まれ続けたという話があります。その裁判官は、48年前に静岡で起こった袴田事件という一家4人の殺人放火事件で死刑判決を言い渡した合議体の裁判官の一人でした。 袴田事件は、有罪か無罪かが争われ、物証が乏しい中で、一審で死刑が宣告され、高裁でも最高裁でもその判断が覆らずに、死刑が確定したのですが、その後も無罪を求める再審請求が繰り返され、平成26年3月、死刑・拘置の執行停止と裁判の再審開始が決定された事件です(再審開始については、即時抗告審での審理中)。
その袴田さんを支援する会で、平成19年3月、一審の審理に当った合議体の裁判官の1人が、その裁判で自分は無罪の心証を持ちながらも、他の2人の裁判官を説得できずに、他の2人の裁判官の有罪で死刑という意見に押し切られ、自分で死刑判決を書かざるを得なかったということを告白し、ニュースとなりました。その裁判官は、袴田事件で死刑判決を言い渡した半年後に裁判官を辞め、弁護士になったそうですが、自責の念から何度も自殺を考えたそうです。そして自分の娘にも、自分は殺人者と同じで、お前は殺人者の娘かもしれないと話していたそうです。
この元裁判官の告白には、裁判官に課された「評議の秘密」というルールを破ったという批判もありました。裁判員制度でも、裁判員が評議の秘密を漏らしたときには、6月以下の懲役または50万円以下の罰金が科されることになっています。
確かにこの元裁判官はルールを破ったという意味では正しくないことをしたかも知れませんが、本当は危うい裁判だったことを知らしめ、その当時も身柄を拘束されて死刑執行の恐怖と戦っている袴田さんを救援する一助にしたいとして行った告白は、当時の日本人の共感を呼んだのではないかと思います。
2015/3/27 Murakami